主観的な経済的なゆとり感

今日の朝刊によると「(主観的な経済的)ゆとり感は、収入自体の額もさることながら、まわりの人に比べ自分がどの程度の収入があるか、という格差とも関わりがあるとされている」んだそうな。なるほど。自分も周りも貧乏ならあまり悩まないかもね。

この格差を「不平等さ」と考えるなら、ジニ係数はその客観的な指標になる。日本もじりじりと社会騒乱多発の警戒ラインといわれている0.4に近づいているけど、まだ0.3台。ちなみに某国のジニ係数は公式発表で2012年が0.474。警戒ライン突破済。実際は2010年時点で0.61という報道もされている。それやばくね?

メディア露出度の高い東部沿岸の都市部は億ションや外車がバンバン売れてるようだけど、西部の農村地帯は...ですよ。平均年収1万円台(月収の誤りじゃないですよ!)もざら。そりゃジニ係数高くなりますよ。

その沿岸都市部だって、ちょっと郊外の農村に行くとね...。日本の農村と雰囲気が全く違う。さらに都市内部でも、日本じゃ見られないような風景がある。たとえば某外資系超高級ホテルの裏側がスラム街同然だったり。道に迷い入り込んだ時、本当に「ヤバイ」と思いましたもん。

某国は所得の再配分がうまく機能していないのか、そもそもそういう仕組みが無いのか?日本だって再配分前の所得でジニ係数を求めたら1999年時点、遅くても2002年時点で0.4を超えている(ジニ係数は「所得」の定義によって微妙に変わる)。それを再配分することで0.3台に抑えているんだから。

それでも1つの国として束ねていくんだから、ある意味すごいと思いますよ。ほんとに。